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再配置可能な原子配列に基づく論理量子プロセッサの最近の実現

ここ数年の量子計算機はNISQ(noisy intermediate-scale quantum, 雑音あり中規模量子)デバイスと呼ばれており、量子ビットが少ないことと雑音の影響を受けやすいことから、社会的に意義のある用途の模索が続いているのはこれまでの解説記事においても述べた通りである。しかし商業的に価値のあるNISQアルゴリズムは未だ発見されておらず、またそのようなNISQアルゴリズムが見つかる可能性を示唆する説得力のある理論的証左は未だ存在しない。

そのような状況の下、量子雑音により破壊された量子ビット状態を復元するQEC (quantum error correction, 量子誤り訂正)技術、及びQECが実装された耐障害量子計算(フォールトトレラントな量子計算)の開発が活発化しつつある。耐障害量子計算ならば、計算途中に雑音によって破壊された量子ビット状態を復元できるため商業的に価値のある問題において量子優位性を示すことが期待される。しかしQECの実装は理論的にも技術的にもまだ発展段階にあるので容易ではない。

特に、ハードウェアの側面からは、物理量子ビットの数を増やす集積化技術と、それらの大規模な物理量子ビットを高精度に操作するための高度技術を開発する必要がある。そんな中、多数の中性原子から成るQECが実装された量子計算機、耐障害量子計算が最近“Logical quantum processor based on reconfigurable atom arrays”, Bluvstein et al., Nature (2023)により報告された。それによると再配置可能な中性原子の配列から成る最大280個の物理量子ビットが構成され、領域化アーキテクチャを利用して最大48個の論理量子ビットの間のもつれの生成と観測が行われた。以下でその内容を解説する。
 

INTRODUCTION

もつれた量子ビットの輸送

イオンよりも安定であり、多数の量子ビットの集積化が容易であるという特徴を有しながらも超伝導型量子計算機やイオントラップ型量子計算機と比べて話題に挙がらなかった理由の一つは、もつれた量子ビットを移動させることが難しかったためである。中性原子型量子計算機では、2つの中性原子を物理的に近接させることにより生じる長距離ファンデルワールス相互作用によって2量子ゲート操作を実現する(リュードベリ遮断)。しかし、2量子ゲート操作によりもつれた2つの中性原子が生じた後に、もつれた2つの中性原子を引き離すことが困難であった。そのため、初期の中性原子型量子計算機では中性原子の配置は最初に決めた位置に固定されており、量子アニーラのようなアナログ量子計算機としての利用に留まっていた(“Quantum phases of matter on a 256-atom programmable quantum simulator”, Ebadi et al., Nature (2021))。この課題に対して多数のもつれた量子ビットを移動させる技術的ブレークスルーが2022年に報告され、2量子ゲート操作が自由に行えるようになった(“A quantum processor based on coherent transport of entangled atom arrays”, Bluvstein et al., Nature (2022))。つまり、2つの中性原子を近接させてもつれを作り出した後に、もつれた中性原子ペアの一方を引き離し、別の中性原子に近づけて更にもつれさせるといった、本来我々がやりたかった量子計算機を形作るための基本操作が確立されたのである。更に2023年に2量子ゲート操作フィデリティ(ゲート演算を正確に実行できているかを示す指標)が99.5%に達した(“High-fidelity parallel entangling gates on a neutral-atom quantum computer”, Evered et al., Nature (2023))。これらのブレークスルーにより今回の耐障害量子計算の実現がなされた。

TRANSPORT

図1. 中性原子のコヒーレント輸送による量子情報アーキテクチャ。光ピンセットにより2次元上で並列に原子輸送が実行される。これによりプログラム可能で非局所的な接続が可能な量子情報アーキテクチャが実現される。(“A quantum processor based on coherent transport of entangled atom arrays”, Bluvstein et al., Nature (2022)より転載)

本稿では詳しく説明しないが、三次元色符号と呼ばれるQEC方式に基づく、論理量子ビットの間のCCZとCZのネイティブゲートとしての実現についても本論文では報告されている。これらは非クリフォードゲートと呼ばれる種類に属しており、このアーキテクチャは古典計算機を凌ぐ計算能力を発揮する可能性がある。また48個の論理量子ビットに対する228の論理CZ/CNOTと48の論理CCZの実行も報告された。本研究において行われた実験は、中性原子を用いた大規模な量子計算機の構築とQECの実装のための重要な要素を実証するものである。本論文の著者は、レーザー出力を上げ、制御法を改善すれば10000物理量子ビットまで達成できるとしている。大規模な誤り訂正システムのコストを下げる技術革新を推し進めればフォールトトレラントな量子計算機の実際的利用の時代の到来はこれまで見積もられていたよりも早くなるかもしれない。

CONCLUSION

大規模化とフォールトトレラントな量子計算に向けて

領域化アーキテクチャと原子の格子状配列

中性原子を用いた耐障害量子計算を実現するために、図2に示されているように

・保存領域

・もつれ領域

・読み出し領域

の三つから成るアーキテクチャが採用された。保存領域は、長いコヒーレンス時間(雑音により妨害されずにいられる時間)を特徴とする量子ビット保存の場所である。もつれ領域は単一あるいは複数の論理量子ビットに対するゲート演算がレーザー印加により行われる場所として使用される。読み出し領域は、そこにある物理量子ビットまたは論理量子ビットに対し、他の量子ビットを妨害することなく測定(原子への撮像ビームの照射)を行うための場所である。このアーキテクチャは光ピンセットと呼ばれるレーザー技術により実現されており多数のルビジウム原子を格子状に配列することができる。ルビジウム原子の間の反発現象(リュードベリ遮断と呼ばれる)を利用した量子ビット間ゲート演算と、AOD(acousto-optic deflector, 二次元音響光学偏向器)の使用による原子輸送によって実現される任意の配列可能性を組み合わせて、最大280物理量子ビットの量子計算機が構築された。

ARCHITECTURE

図2. 多数の中性原子のための領域化アーキテクチャは保存領域(storage zone)、もつれ領域(entangling zone)、読み出し領域(readout zone)から成る(原論文より転載)。

論理量子ビットのもつれ生成

本研究ではQECの方式の一つである表面符号に基づいて論理量子ビットの符号化が行われた。二つの論理量子ビットからベル状態(もつれた状態)を生成する実験の量子回路図が図3aに示されている。図中には二つの論理量子ビットに対するゲート演算の実現方法も描かれている。今の場合は二つの論理量子ビットのそれぞれは正方格子(ブロック)状に並んだ49個(縦横それぞれに7個)の物理量子ビットにより符号化されている。これらのブロックを移動させ上下に並べ、対応する物理量子ビット同士を近接させることにより、論理量子ビットに対する実効的なゲート演算を大域的なレーザーパルスの印加によって実現できる。片方のブロックにおいて雑音などにより誤りが発生すると他方のブロックに伝播するので、このことを利用してQECの精度を上げることができる(図3b)。図3cは論理量子ビットの測定結果である。++と--と00と11に高いピークが現れているのは確かに論理量子ビットのベル状態が生成されたことを表しており、この中性原子型量子計算機が確かにもつれ生成とQECの能力を備えていることが分かる。

ENTANGLEMENT

図3. 二つの論理量子ビットをもつれさせる実験(原論文より転載)。

a: 論理ベル状態の生成のための量子回路

b:ブロック間の誤りの伝播とそれを利用したQECの模式図

c: 論理ベル状態に対する測定の結果のヒストグラム

280個の物理量子ビットの制御

図4は280個の物理量子ビットを40個の論理量子ビットとして取り扱ってもつれさせた実験を模式的に描いたものである。図4aにあるように、もつれ領域(青)に描かれている黒枠の中の7個の物理量子ビットが今の場合の単一論理量子ビットを成す。このもつれ領域に含まれる70個の物理量子ビットに対して同時にゲート演算を実行できる。保存領域(橙)には210個の物理量子ビットが保持されており、ゲート演算の際にはもつれ領域に輸送される。図4bにある量子回路図が示すように、合計280個の物理量子ビットを70個ずつ四つのステップに分けて処理することにより40個の論理量子ビットの状態の操作が行われた。図4cはステップ数の増加を経ても論理量子ビットの状態の崩壊が少ないという実験結果であり、このアーキテクチャならばより規模の大きい量子計算機を構築できる可能性を示している。

CONTROL

図4. 280個の物理量子ビットを40個の論理量子ビットとして取り扱ってもつれさせる実験。

a: 小さい丸のそれぞれは物理量子ビットを表す

b: 40個の論理量子ビットの状態を生成するための量子回路

c: ステップ数と論理量子ビットの状態のデコヒーレンスの関係の測定結果

中性原子型量子計算機

量子計算機の方式の一つとしてイオントラップ型が現状ではしばしば採用されている。それは個々のイオン(電気を帯びた原子)を量子ビットとして取り扱う方式であるが、本研究は中性原子(電気を帯びていない原子)を採用している。一般的に言って、多数の中性原子を狭い領域に閉じ込める方が多数のイオンを閉じ込めるよりも技術的に容易であることと、中性原子の状態の方がイオンよりも安定であるという特長が中性原子にはある。このことから中性原子型の量子計算機はフォールトトレラントな量子計算機の候補の一つとして研究と開発が進められている。本研究では中性原子の一種であるルビジウム原子の一つ一つが単一物理量子ビットとして扱われた。

CALCULATOR

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